その昔、永正の頃(およそ500年前)のお話です。 城主、小寺則職の家老、青山鉄山が主家乗っ取りを画策していた。 忠臣、衣笠元信のいいなづけで、青山家の女中であったお菊がこれを知り、元信に知らせて城主の難を救いましたが... その後、浦上村宗らの後ろ楯により青山鉄山は、乗っ取りに成功し、村宗らを招いた酒席で、町坪弾四郎は、 家宝「毒消しの皿」十枚組のうちの一枚を隠し、お菊に濡れ衣を着せ責め殺し井戸に投げ込んだ。 そして、毎夜、井戸の底から「一枚、二枚、三枚...九枚」と皿を数え、一枚足らず泣き伏せ悲しむお菊の声が聞こえたといいます。 またまた、元信たちによって、鉄山一味は討ちとられ、 生前、心優しかった奥女中お菊は、病に伏した則職の病全快を祈願するために十二所神社に参拝していたと聞いた則職は、 お菊の霊を慰めるために「於菊大明神」として十二所神社境内にお菊神社を建てたということです。 すると、井戸の底からお菊の声は聞こえなくなったと言われています。
お菊神社は、姫路城の南南西約1km(JR姫路駅からだと北西300m)にある十二所神社の境内に現在もあり、 お菊・水(井戸)・皿に縁が深いため、女性・水商売・陶器に良いとされ、それらにまつわる悩み事・願い事にご利益があると言われております。